ここが好きのべおか
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その5「須美江家族旅行村」
須美江家族旅行村須美江家族旅行村は、周囲を山に囲まれ、正面には太平洋の海が広がる、レジャーに最適の環境にあります。

親子で水遊び、広場でボール遊び、スポーツの好きな皆さんにはテニスや野球を、もちろん釣りの好きな人にはもってこいのポイントもたくさん。また遊歩道を歩いてバードウォッチングも体験できます。また、宿泊にはケビンが好評です。

「サンビーチすみえ・ファミリー水族館」では、五ヶ瀬川水系、日向灘の生き物達150種800匹の生態が楽しく観察できます。

○須美江家族旅行村の紹介ページ
http://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/syoko/syogy/sumie/sumie.html

その4「陽明学者 大塩平八郎とその娘 関月尼」
尼僧の本名は小山せき。延岡市千光寺の過去帳には小山関子とある。出生は大坂、天保の飢饉(ききん)の際ほう起した大塩平八郎の娘と伝えられる。

母は遠島、生活も苦しく、せきは若くして出家したというが、真相は謎(なぞ)につつまれている。たまたま京都の寺で修行中の僧・恵等(えとう)と相知り、2人は情熱断ち難い関係に陥った。

こうなると“恋の道ゆき”、2人は長崎を経て延岡へ。恵等40歳に近く、関月20歳をすぎた年齢であった。はじめ別々に暮らしたが、島野浦神聚寺(じんじゅじ)に入り同せい、土地の人々に愛された。尼僧は“おせきさん”と呼ばれ、生花・茶道・三味線・琴などを教えた。

ところが、恵等が島の娘“お房”と仲良くなり、関月尼は島を離れ延岡の東海(とうみ)の常楽院に入った。運命の皮肉であろうか、ここで船問屋の伝五郎と再婚。この暮らしも5、6年しか続かず、やがて延岡誓敬寺の食客となった。柴田家の3畳間を借り、和歌、鼓など諸芸を教えた。この間、2度ほど上京、歌道の師太田垣蓬月(おおたがきれんげつ)に会いに行ったという。

やがて延岡の祝子(ほうり)の千光幸恵照の妻となり、ここで63歳の波乱にみちた生涯を閉じた。 関月の関は、小山せきの「関」「月」は師匠である太田垣蓬月の「月」をもらっている。

その3「ゴールデンゲームズ in のべおか」
テレビで見る有名選手達が集まり、トラックを取り囲む応援団が看板を叩いて応援するなか、記録をめざして選手達の白熱したレースが展開されます。
以前、ヱスビーの瀬古監督は「北欧のローカル大会を見ているようだ」との感想を語ったように、観客と選手が一体になった雰囲気のよい大会となっています。
また、この大会を通じて、たくさんの自己記録の更新も生まれています。

日時:5月25日(土) 12:30〜21:40
会場:延岡市西階陸上競技場

その2「石垣にサインは何?」
城山の元大手口の階段を上がった所の石垣は「殺しの石垣」と呼ばれています。
二の丸から本丸への侵入を防ぐために築かれたもので、高さ22メートル。
この呼び名は、礎石の石をはずすと石垣がくずれ、1,000人を殺すというところから名付けられたといわれています。
延岡城を特徴づける石垣で、これらの石には築城のときの寄進者の符号と思われるものが数多く見られます。写真は大手門横の石垣です。

その1「この水で化粧するときれいになる水」とは・・・・

祇園町銀天街が歩いて5分のところに、城影寺があります。

その昔のお殿様、有馬直純の正室は、徳川家康のひ孫(国姫)で日向御前と言われていました。ここの水をくんで化粧をしたと伝えられており、この水を使ってお化粧をすると美人になるといういい伝えがあるとか・・・。

ところでこの日向御前、いろんなエピソードがあります。
小田信長や徳川家康という名門の血を引いていますが、当時女人禁制であった愛宕山に登山するなど、活発?な女性だったようですね。

お墓は、樹齢200年の慧日梅がある本東寺にあります。一度訪ねてみては・・・。

くわしくは→http://www.coara.or.jp/~munenori/guidemap/areamap/imayama.html

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